目次
ひな祭りの背後に潜む物語
多彩なひな人形の形状
2-1. 押し絵雛(おしえびな)
ひな祭りの美味しいごちそう
3-1. 菱餅
3-2. 雛あられ
3-3. 草餅
3-4. はまぐりのお潮汁
3-5. 白酒
結び
冬の寒さが和らいでくる頃、店頭でよくひな人形とひな祭りのお菓子を見かけることがあります。
ひな祭りは、ひな人形を飾って女の子を祝福する節句です。多くの人がその概要を把握しているでしょうが、本来の意義や歴史についてはどうでしょうか?
ひな祭りの背後にある物語
実は、ひな祭りは最初からひな人形を飾る催しではありませんでした。
元々、古代中国では「上巳(じょうし)」と呼ばれる旧暦3月3日前後の日が、邪気が蔓延する日であると考えられていました。この日に、災厄を遠ざけるために、身を川で清め、自身の穢れを紙や他の素材で作った人形に移し、その人形を川や海に流す儀式が行われていました。
さらに、平安貴族の子供たちの中では、「ひいな(雛)遊び」と呼ばれる人形遊びが行われていた記録が存在します。この人形は、子供たちの健康を願うお守りとして寝室に置かれていました。
これらの要素が結びついて、子供の成長を願うお祭りである「ひな祭り」が形作られていきました。この伝統は今でも、鳥取県鳥取市用瀬町や和歌山県紀の川市粉河などで見ることができます。また、「ひな祭り」の名前は、上記の「ひいな遊び」から派生したものと考えられています。
ひな祭りは、江戸時代に入ると、女児の誕生と成長を祝う催しとして一般の人々にも広まりました。前夜の「宵節句よいぜっく」の日には、女児が晴れ着を着て親戚やお世話になった人々を家に招き、商人たちは白酒と重箱料理を贈り、祝福しました。江戸時代初期には、簡素なひな人形を敷物の上に並べるだけでしたが、中期になると、奇数の段数が縁起が良いとされ、5段や7段の段飾りひなが一般的になりました。
多彩なひな人形の形状
江戸時代中期に入ると、ひな人形は武家や裕福な商人の家庭でも飾られるようになりましたが、一般庶民には手の届かないものでした。そのため、比較的手ごろな価格で入手できる焼き物のひな人形や、厚紙に綿を詰め、布で覆った立体的な「押し絵雛(おしえびな)」もしくは「おきあげ雛」と呼ばれるひな人形が家庭で手作りされることもありました。
押し絵雛(おしえびな)
かつては全国的に作られていたと思われますが、現在では秋田県の角館市、長野県の松本市、福岡県の久留米市とうきは市、大分県の日田市などの資料館で見ることができます。押し絵を用いた羽子板も制作され、現在でも浅草の羽子板市で見かけることがあります。台座のない家庭では、畳の間に挿して飾ることが一般的でした。
ひな祭りの美味しいごちそう
かつて、食べ物は豊富でなく、病気がはびこることが多かったため、子供の成長を願い、ひな祭りや端午の節句などの日にはたくさんの美味しいごちそうが振る舞われました。今日でも、ひな祭りの日には、菱餅(ひしもち)や雛あられが欠かせないでしょう。これらの美味しいごちそうには、ちゃんとした由来があることをご存じでしょうか?
菱餅
赤、白、緑の三色で作られた菱形の餅が重ねられています。これらの色にはそれぞれ象徴的な意味が込められています。赤は桃の花、白は白酒、緑はよもぎを表しています。赤は古くから疫病や邪気を祓う色とされ、白は浄化の色とされています。緑はよもぎ自体が邪気を払う力を持つと信じられていました。また、菱形は竜に襲われそうになった娘が、菱の実で竜を撃退して救われたというインドの仏典に由来し、女の子の健康な成長を祈る気持ちが込められています。
雛あられ
雛あられは、餅や豆類に砂糖をまぶして炒った色鮮やかな和菓子です。雛あられ自体は、平安時代に既に存在し、江戸時代には庶民の間でも手軽に楽しめるようになりました。炒る際に音がよく鳴るかどうかで、その年の運勢を占うことも行われていたと言われています。
草餅
草餅は、餅にヨモギを混ぜたもので、古くは「ハハコグサ」という草を使用していました。これは春の七草のひとつであるゴギョウという草です。江戸時代になると、よもぎで作るようになりましたが、ハハコグサもよもぎも薬草とされ、邪気を祓う力があると信じられていました。江戸時代には、ひな祭りはしばしば「草餅の節句」とも呼ばれ、草餅は子供たちの成長を祈願するごちそうとして最適でした。
はまぐりのお潮汁
昔、旧暦3月3日は忌み日とされ、労働が忌避された日でした。そのため、この日は海や山に出かけて遊ぶ日となり、海岸の人々ははまぐりを集めて神に捧げ、その後みんなでお潮汁を食べてお祝いしたと言われています。また、はまぐりは汚れた海に住まないことから純潔を象徴するともされています。
白酒
白酒がひな祭りに飲まれるようになったのは、江戸時代後期からとされています。白酒は餅米の粥に麹を加えて醸したお酒で、子供たちでも飲めるお祝いの酒でした。ひな祭りを「桃の節句」と呼ぶように、桃は魔除けの象徴でした。平安時代には、桃の花を浮かべたお酒を飲む習慣があり、それがひな祭りにお酒を飲む風習に繋がったと考えられています。
結び
今回、身近な行事であるひな祭りについてご紹介しましたが、その背後にある深い意味を知っていただけたでしょうか。歴史や食べ物の由来を知ることで、ひな祭りをより楽しむことができるでしょう。